前から楽しみにしていたんです、このHBOのTV映画『Cinema Verite』。リアリティーショーのさきがけドキュメンタリーといわれる『An American Family』の舞台裏を描いた作品で、ダイアン・レイン、ティム・ロビンス、ジェームズ・ギャンドルフィーニ、そしてトーマス・デッカーらが出演しています。
12時間に及ぶTVドキュメンタリーシリーズ『An American Family』は、アメリカで1973年に放送されました。放送局はPBS。日本のNHKをイメージしていただければいいかもしれません。『An American Family』はカリフォルニア州サンタバーバラのラウド一家の日常をカメラが追うもので、タイトルの“an”からすれば“どこにでもいるアメリカ人ファミリー”みたいな意味でしょう。どこにでもいる一家のはずが、息子がゲイだったり、公開離婚劇となったりで、40年近く前の古き良き?当時のアメリカで非常に話題となったようです。
今でこそ、ガチなゲイや離婚なんて、TVにあふれてますが、当時はそういったことは隠されていた時代ですからね、それをTVで流しちゃうなんて、しかも役者じゃなくて一般人なんて…と視聴者は驚いたことでしょう。
TV映画『Cinema Verite』は、この『An American Family』で放送されたハイライトな部分を再現し、同時にプロデューサー(今でいえばクリエーター!)クレイグ・ギルバートの役割も描いています。
ギルバートは「普通の一家の姿を追いたい」と撮影を始めたものの、やがて局のお偉いさんたちの「こんな(何の変哲もない)映像ばっかり撮ってどうするんだ、何とかしろ!」とたきつけられたことをきっかけに、ダイアン演じる主婦パティとの心のつながりを深め、ティム演じるその夫ビルから得た情報で、一家を結果的に操ることになります。
今のリアリティーショーは全て台本があると思いますが、この映画から見る限り、『An American Family』には台本がありませんでした。そして、撮影クルーたちも、一家の恥となる部分をあえて撮影しようとはしません。あくまでも一線を心得たドキュメンタリーという考えの下で製作されたのが、『An American Family』でした。しかし、ほんとうにラウド一家がどこにでもいるアメリカ人一家だったら、その映像はホームビデオとなんら変わりがなかったでしょう。
ドキュメンタリーは初めに人々の関心を提起する題材ありきです。一方、リアリティーショーは何も題材のないところに、台本やプロデューサーによって、ストーリーが作られていく。ギルバートがプロデューサーとして最も才能を発揮したのは、題材の隠れていたラウド一家を予期せず?選んでいたということでしょうか。しかし、『An American Family』がリアリティーショーと呼ばないのは、ラウド一家が演じていないからでしょう。
内容についてはいつか日本でもオンエアされることを信じてやめておきます。それよりも“シネマ・ヴェリテ”というタイトルが、この映画のコンセプトを説明していると思うので、ご紹介。日本語のブログにいいのがありました。「映画学メモ」というブログを勝手ながら、引用させていただくと、
シネマ・ヴェリテとは、
撮られているものだけでなく、カメラの存在、また「そこでカメラが撮っている」という事実も隠さずに伝えるべきだ
ということだそうです(詳しく知りたい方は上記のブログタイトルをクリックしてみてください)。私なりに解釈すると、出演者たちの真実の姿を撮影しているということに加え、その出演者たちが撮影されているという事実を意識しているということも、描いておくべきだ。ということでしょうか。先書いたことと反しますが、どんなにカメラを意識していなくたって、どこかで出演者は演じているということになるのかもしれません。
こういった作品の常として、ラストには、○○はこの後どうなった、というのが出演者、クルーたちについて語られています。正直な話、私が一番気に入ったのもこの部分でした。なによりも、このセンセーションを生み出したギルバートが、『An American Family』以降、映像製作に係わっていないというのが良い。パンドラの箱を開けてしまった彼の良心でしょうか。
有名人への憧れ、拝金主義の現代のショウビズの視点から見れば、いろいろ学ぶことの多い作品。70年代調の映像もベリーグッドですよ。
(ブログ「映画学メモ」を引用させていただき、筆者の方、ありがとうございました)
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